殉国七士のお墓が興亜観音にあるワケ

令和四年一月二日
奉賛会会員・萩野谷敏明

昨年八月、TBSから「報道特集:太平洋に撒かれたA級戦犯の遺骨」というニュースが流れた(←下記画像をクリック)。
  その後、私はこの報道をただ「ああ、そうか」と等閑視していたのであるが、 ちょっと待てよ、ここらで一度、殉国七士の遺骨の行方についてまとめてみた方が良いのではないか、と感じるようになった。 なぜなら、この報道には興亜観音と住職・妙浄さまも登場するほか、 「殉国七士」(板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東條英機、広田弘毅、松井石根、武藤章)の遺骨の行方について、 よほどの事情通でないと知らない、という世の中だろうからである。
  赤穂四十七士の墓が高輪・泉岳寺にあることは誰でも知っているのに、 殉国七士の墓は?と聞かれて即座に伊豆の興亜観音と答えられる人が世の中にどれだけ居るだろうか。

  大筋で、この報道は事実に沿って事情を述べていると思われるが、 より正確に書いたものとしては「秘録 東京裁判」(清瀬一郎著)のp.189-190に述べられている。(←上記画像をクリック) 著者の清瀬一郎氏は東京裁判で日本側弁護団の副団長を務めていた人物であるから、その記述は正確と考えて良いだろう。
  同書によれば、小磯国昭元首相を担当した三文字正平弁護士が、「殉国七士の遺骨は火葬直後、 久保山火葬場の片すみの穴にあることを知り、処刑の翌日、(中略)数人の人を使って深い穴の底から、進駐軍がすでに処理した残りの中よりこっそり約一升ほどの遺骨を掘り出し、火葬場の隣にある興前寺に託した。このことは火葬場長も知っていたらしいが、黙認してくれたものらしい。(中略)その後、この遺骨は発見せられることを恐れ、興亜観音に隠された。それから日本も独立を回復し、遺骨を盗み出してより十年余りもたった後である昭和三十四年に、松井大将の郷里である愛知県幡豆郡幡豆町の町長さんの好意により、同町南岸三河湾公園内に一地区を得て、ここに永遠に埋葬した。」とある。つまり、「三河湾公園の一地区」には分骨をしたということだ。

興亜観音境内にある殉国七士の碑

  七士とは、東京裁判で死刑を執行された七人 (東條英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、廣田弘毅)の方々を言います。向かって左側の碑には、

南無妙法蓮華経 大東亜戦殉國刑死 一〇六八霊位供養 碑

  と刻み込まれています。

  「一O六八」はBC級戦犯として刑死された人々の数を表現しています。

  ※  なお、「戦犯」について、日本の国会は昭二七年から昭三〇年にかけて四次の国会決議を行い、 昭和三十三年までに少なくとも国内法上、「戦犯」は存在しないこととされています。


  日本人にとって「お墓」とは、どんなところだろうか。
  人によって見解の違いはあるだろうし、仏教におけるお墓の位置づけについても、浅学な私は知らない。 しかし、少なくとも私にとっては血のつながりのある親戚の遺骨の安置所であり、 会ったことのある先祖も、名前も知らず会ったこともない先祖もひっくるめて「先祖」と対面する場所のことだ。そこには寺があり僧侶がおはしまして、先祖の御霊よやすらかなれ、と祈祷をして下さる。
  私がまだ中学生だった頃、父が一族の法要を墓前で営んだことがある。 中学生といえば、自我がようやく芽生えて自己を如何に生きようかと考える多感な頃だ。 私は墓に眠る一族の皆様に「きっと我が家を盛り立て、皆様に恥じない生き方を致します」と心に誓った。
  その後、私が思想的に決してあらぬ方向に走ったりグレたりしなかったのは、 あの法要で先祖と対面したからだと思う。自我だけでなく、自我を超えるもっと大きなものに出会ったのだ。
  ところで、我々は寺院にもお参りをし、神社にもお参りする。そこには何の矛盾も感じない。
  夏祭りの祭礼で神輿を担いで神道の行事を行うが、盆踊りという仏教ゆかりの行事にも参加する (盆踊りは時宗の踊り念仏が民衆の間に広まり定着したものであり、年に一度、この世に戻ってくる先祖の御霊に 「このとおり、健康で暮らしていますよ」と見てもらう主旨で行われるという)。そこに何のためらいも感じないほど、神仏混淆は進んでしまっている。
  神社、その中でも特に靖国神社は、畑俊六元帥がその巣鴨日記に 「靖国神社にてはかげながら戦没者の合祀を行ひありたりと聞及ぶが、当然のことにして、 世界何れの国と雖も無名戦士の墓に詣づること誰憚る処あらんや」と記す(「東京裁判の謎を解く」 (別宮暖朗、兵頭二十八著p.105)とおり、「無名戦士の墓」という考えでよいのではないか。

  GHQは、「死刑になった指導者たちの墓が、将来神聖視 されることのないように」、遺灰を太平洋に散布したそうだ。 遺骨を抱いて今は亡き夫、亡き父の遺骨に涙する遺族もいるだろうに、他国の風習にまるで無頓着なガサツで意地の悪い連中の考えそうなことだ。 こういう時は日本の風習に照らしてどうするのが適当か、なぜ一言、処刑に立ち会った花山教誨師なり他の日本人なりに相談をしないのか。 無論、散布されようがされまいが、殉国七士の存在は誰もが知っていることであり、その存在は神聖なものだ。 東亜を西洋列強の植民地支配から解放することを目指した日本民族の大戦争に登場する主要な人物たちだ。 長く苦しい戦いであり犠牲も大きかったが、何世紀も西欧の植民地支配が続いた東亜の地に、今日我々が見るような独立国を幾つも生んだ。

  村田春樹先生は「大東亜戦争は東亜に架かった虹である」と評したが、私も全く同感だ。 虹に透けて見える夕暮れの星がキラキラと輝く姿を見て、そこに何の神聖さも感じない、何の感動もない人間があろうか。 おのれの眼(まなこ)が曇っているから、虹も星も見えないだけなのである。

「何れの国といえども、無名戦士の墓に詣づること誰憚る処あらんや」 

中国・韓国の反応を気にして、日本国のために戦った「無名戦士の墓」に詣でることをためらっている国政の責任者たちに聞かせてやりたい一言である。

初詣でにかえて


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